納得できる古典の授業を求めて
思うところあって、こんなツイートをしました。
ぼくの古典は、
・文法は帯で自作の教材で行う
・文法の習得は、検索学習を主として授業で行わせる
・教材の読解に必要な文法は、生徒のつまづきに合わせて適宜扱う
・とにかく音読させる
・単語も授業中に覚えさせる
・現代語訳を使用しない
・書き下し文もほぼ使用しない
・予習不要って感じです
— しばしん (@sh1ba_sh1n) October 14, 2018
古典の授業について、Twitterで流れてくるツイートを見て、「んー、ぼくはいまはこんな感じではやってないなあ。別にグループワークとかやってるわけでもないんだけど。なんなんだろうなあ」と思って、自分の実践を振り返る意味でまとめてみたわけです。
そしたらわりとリツイートされ、いいねされたんですね。
で、もうちょっと詳しく書いてほしいという話もあったので、今回から何回かにわけて、ぼくの古典の授業について書いていこうと思います。
注意してほしいこと
でも最初に言っておきたいのですが、ぼくは大学、大学院と、古典についてほとんどぜんぜん勉強してきていません。
つまり、古典が専門ではありません。(まあ現代文もそうなんですけど)
加えて、教育学も専門ではありませんし、国語科教育なんかも完全に門外漢です。(もちろん、この仕事についてから猛勉強しました。まだまだ知らないこと、わからないことだらけですが)
ぼくはぼくなりに、自分の受け持つ生徒に古典の学力をつけてあげたいという一心で、試行錯誤してきたにすぎません。
したがって、これが正しい古典の授業のあり方だ! なんて考えているわけでもありません。
その上で、誰かの実践の参考になれば幸いです。
50分の古典の授業の流れ
とりあえず、50分の授業の流れを書いておこうと思います。
基本的な流れは、
- 百人一首カルタ(5~10分)
- 古文単語フラッシュカード(1分)
- 古文単語テスト10~15問(6分)
- 既習文法事項の復習チェック(5分)
- 古文文法プリント(10分)
- 本文の音読(5~10分)
- 本文の読解など(10分)
です。
うーん。盛りだくさん。
また、ぼくなりに、ぼくの古典の授業の特徴をまとめたのが、次のツイートでした。
古典の授業のブログ記事、書き始めようと思ったら、ぜんぜんうまく構成ができなくて困った。ぼくの古典の授業の基本は、①音読の徹底(漢文は訓読文で、書き下し文を基本的には使わずにゴリゴリ読ませる)、②原文を細かい発問でゴリゴリ読ませる(いちいち全部訳さない)…
— しばしん (@sh1ba_sh1n) October 15, 2018
…、③②によって概要を把握させてから細かな現代語訳や書き下し文を扱う、④扱う現代語訳では個別評定を用いてできるだけ全員をチェックする、⑤文法は説明せず、プリントで指導する(なぞり書きと音読、そして練習問題)、⑥暗記事項はフラッシュカードと小テストの繰り返し、みたいな感じか。
— しばしん (@sh1ba_sh1n) October 15, 2018
早すぎるんじゃないの?
これを見るとたぶんものすごく驚かれると思うのですが、本文の読解などが10分程度と書いてあるように、ほとんど読解の時間は設けられていません。
ふつうの授業であれば、この本文の読解部分が授業時間のほとんどを占めているのではないかと思います。
それで他のクラスと同じか、それ以上の進度で進むため、かなり早いと思います。
しかし、生徒から早いという苦情は出てきたことがありませんでしたし、むしろ、「ちょうどいい速さだ」と言ってもらえることのほうが多かったです。
これで理解できるの?
また、このような読解指導では、ぜんぜん話がわからないのではないか、という懸念もあるかもしれません。
しかも、現代語訳も一切配らないため、ほんとうに生徒はわかるのだろうか、という疑問が浮かぶのももっともだと思います。
現代語訳をいちいちすべて扱わないのは、次のような理由によります。
漢文だって古文だって、試験のときにはいちいち全部厳密に訳して読んでいかない(ですよね?)。わざわざ書き下し文とか書かないし。だったら最初から、ゴリゴリ読むのに慣れさせたい。これは別に精読とか、逐語訳が重要ではない、と言いたいのではなくて、それはそれとして取り立てて指導すべきです。
— しばしん (@sh1ba_sh1n) October 15, 2018
たまーに、試験前に確認のために現代語訳を配付することはありますが、基本的には、試験前にも配らないことが多いです。
しかし、生徒たちからは、「どんな話かすごくよくわかる」と言われます。
今まで、ほかのクラスの教科担当者が、すべてをノートに書かせ、現代語訳させていたこともありました。
その先生が担当しているクラスの生徒が、ぼくのところに、「先生、ぜんぶ現代語訳はあるんですけど、話がぜんぜんわからないんです」と聞きに来たことは一度や二度ではありません。
その際も、基本的に内容の理解は、ぼくが説明をするのではなくて、授業で本文の読解を扱うときのように指導していますが、その指導を受けたあとには、「あー、なるほど! そういう話だったんですね!」と言ってくれることが多いのです。
だから、このペースで進めることが、すべての学校の生徒に合うかはわかりません。
ただ、これが偏差値30程度の学校でも十分通用した方法だということは確かでした。
これは実際に生徒や他の先生からよく言われたことなので照れなく言うんですけど、ぼくが古典を担当した子たちは、古典の授業が好きで、テストも他のクラスより毎回平均点が高かったので、生徒が古典嫌い、というの、あんまイメージできないんだよなあ。
ぼくは超嫌いだったけど、それはそれとして。— しばしん (@sh1ba_sh1n) October 14, 2018
しかし、ここに行き着くまでは長かった
でも、最初からこのようなスタイルで行っていたわけではありませんでした。
ぼくも教員になりたてのころは、いわゆる文法ガッチリ、全文逐語訳、みたいな授業を行っていました。
しかし、数年間かけて、トライアンドエラーを繰り返し、ようやく自分にとっての古典の授業スタイルが、ある程度かたまってきた、という感じです。
だから、繰り返しますが、これが良い方法かはわかりません。
でも、生徒たちは、「古典の授業が好きだ」と言ってくれました。
「先生が好きだ」でも、「先生の授業が好きだ」でもなくて、
古典の授業が好きだ
と言ってくれたのです。
ぼくが願うことは
この方法を少しでも取り入れようと思う人がいて、取り入れて、生徒の反応が少しでも良い方向に変わっていったとしたら、ぼくはほんとうに嬉しいです。
というわけで、次回から、1つか2つずつ取り上げていきたいと思います。
もしももっとここが詳しく聞きたい!といったことがあれば、Twitterでも、コメントでも、書いてもらえればできる限り答えたいと思います。
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