目次
この記事で言いたいことをまとめておくと
音読は読解の基礎だから、最低でも10回は教室で読ませよう!
ここまでの記事とか
復習です。
ぼくの古典の授業の基本形を書いています。
ぼくの古典の授業の基本形はこれだ!【概要編】- 百人一首カルタ(5~10分)
- 古文単語フラッシュカード(1分)
- 古文単語テスト10~15問(6分)
- 既習文法事項の復習チェック(5分)
- 古文文法プリント(10分)
- 本文の音読(5~10分)
- 本文の読解など(10分)
さて、今回は音読について書きまーす!
なぜ音読をそんなにさせるのか→音読はだいじなのだ!
とぼくは初任のときから言い続けている。
でも、「そんなに音読ばかりさせてもレベルが低いんじゃないの」とか、「音読ってそんなにだいじなの?」とかかなり言われてきた。
たいていの〈硬派な〉国語教育の本を読むと、「音読だいじ!」というのはくどいくらい書いてあって、そんなの当然だと現場感覚のなかったぼくは思っていたのだけど、現場ではそうではなかったらしい。とくに高校では。
そんなわけで、とりあえずぼくは粛々と、授業のペースを落とすことなく、しかし毎時間しっかり音読させる、ということを続けながら、理論的な基盤、というのも勉強してきた。
音読がだいじだよ、というのは、要するに、音読は読みの基盤だからなのだ。
だからこそ、学習指導要領でも、「音読」は「読むこと」の領域に位置づけられている。(この辺も、なぜかベテランの先生は、「読むこと」はもっと深い理解を必要とすることで、単に音読することは「読むこと」じゃないんだよ、なんて若い先生に教えたりして困る。そういうとこ、何度も目にしてきたし、ぼくも言われたから)
ところでなぜ音読は読みの基盤なのだろうか。そのことについては別の記事で書く予定です。
とりあえずネット上にある情報ではこの辺を参考にしてます。
参考 6 Essential Skills for Reading Comprehension Understoodほんの簡単にだけ触れておくと、ディコーディング decodingという概念があるんですね。
ディコーディングというのは、要するに文字を音声化することなんですね。それが読解の根本をなしている。
ぼくたちは、慣れてくると文字を文字として認識し、すごい早く読めるようになる(これは流暢性 fluencyとか言います)。でもその前に、一文字一文字を音声に直して理解する、という段階を経てきているわけです。
それってけっこう認知リソースを使う作業なんですよね。
だから、音読が苦手な子、というのは、黙読するときに文字を頭の中で音声化するのが難しい。というか、その音声化に認知リソースをたくさん使ってしまう。その結果、内容の理解にリソースを使えない、ということになるわけです。
だからこそ、小学校段階では、音読が重視されるわけですし、必要であれば中学校や高校でも積極的に音読をさせるべきです。いわゆる進学校と呼ばれる学校に授業を参観しに行った時も、音読するスピードに難がある生徒は一定数いました。
とにかく、「音読はだいじ!」。これは声を大きくして言っておきたいのです。特に、国語に苦手意識を持っている生徒がいるならば(そしていないということはたぶんありえないから)、音読はしっかりすべきです。
以前、国語総合の授業を担当していたときに、短めの評論文を、最初の数時間、全文を何度も音読させていたら、何人かの生徒がこんな感想を書いていました。
最初はまったく理解できなかった。
でも何度も音読しているうちに、なんとなく理解できてきた。
まだ読み取りの授業に入ってないけど、こういうことが言いたいんだな、というのはわかった。
このとき、ぼくは本当に音読しかさせていない段階でした。読み取りも、語彙の説明もまったくしていません。
こういった感想を書いてきた生徒は、1人ではありませんでした。
音読すれば内容が理解できるようになる、と言いたいのではありません。
ただ、音読ができることは、理解の手助けになり、考えるための土台を作ってくれることは確かなのではないでしょうか。
まずは範読から
最初は授業者がお手本となる読みを示してあげます。
これを範読と、教育業界では言います。
範読するのは、生徒が読み間違えることを防ぎ、正しい読み方を理解させるためです。
ちなみにですけど、意図的に範読をせず、最初から生徒に音読させる(読んでみさせる)というのはありえます。
実際ぼくもわりとやります。特に詩や、短歌のような短い文芸作品であれば、最初から生徒に読ませることで、学習課題を明確化できる場合もありますので。
古文や漢文を範読するときには、必ず次の指示を行います。
- 読めない字にふりがなをふりなさい。
- スラッシュと言ったところに斜線(/)を書きなさい。
①の指示については、現代文分野でも同じことをします。読めない字があると、ほかの方法で音読させるときに、生徒が困るからです。
もちろんふりがな無しで読めるに越したことはありません。でも、それは単元が終わるまでに、そうなっていればいいのだと考えています。
だからわからないなら、積極的にふりがなをふりなさい、と指導します。
②については、古典の授業でのみ行っています。というのも、古典の文章は、だらだらと長いことが多く、しかも意味のまとまりも生徒たちはわかりにくいため、音読させようとしてもうまく読めない場合が多かったからです。
このスラッシュの位置については、たぶん専門的にはいろいろと問題があるのかもしれませんが、とりあえず1年生の間はかなり細かく切ってあげます。
慣れてきたら、スラッシュを無視して句読点で切って読ませたりしますが、とにかく実技なのでスモールステップで進めます。
例えば定番教材である「児のそら寝」の一節であれば、
や、な起こし奉りそ。
→ や、/な/起こし奉りそ。/
くらい切っていくわけです。語の切れ目を意識して音読させることも重要だと考えているなのですけど、結果的には、生徒にかかる認知的な負荷が軽減されて、「なんか…読める…っ!」くらいの意識を持たせられるなあ、という印象をもっています。
ちなみに、漢文の場合でも、スラッシュを入れさせながら、基本的にはひたすら訓読文を読ませます。
書き下し文を使うことは(ほとんど)ありません。
これも慣れで、わりと読めるようになります。練習あるのみです。
音読させよう。でもクラス全体で生徒に一人一文ずつ読ませるのはやめよう。
生徒に音読させるのも、いろいろな方法を使って、できるだけ生徒が飽きないように気を付けています。
よく見るのは、一文ずつ、生徒を指名して読ませるパターンですが、これは以下の問題があると思っていて、ぼくはまったくやったことがありません。
- 自分が読むまでの待ち時間が長い
- 自分で読まない文の量が多い
- クラス全員に聞こえるような声で読むのはハードルが高い
- 声が小さかったら怒られるので、できるだけ読みたくない、という意識をもたせてしまう
特に②は問題です。音読するのは、音読できることを確認するためではないはずです。
そうではなくて、音読するという活動を通して、読みの訓練をさせることに意味があるのです。
したがって、全員が何度も読まなければ意味がありません。
要するに、一文ずつ生徒に読ませる方法の問題点は、
練習量が圧倒的に不足してしまう
ということなのです。
じゃあどんな方法で読ませるの? ぼくがよく使う5つの方法
音読の方法については、いろんな本が出ていますので、それを参考になさってください。
例えば、
またブログでも、「音読指導の技術26」なんかは大変参考になります。
ただぼくがよく使うのは、
- 追い読み(あとについて真似して読ませる)
- 交代読み(まとまりごとに交代して読ませる)
- 30秒交代読み(30秒で読めるところまで読む)
- 全文読み(立って一度読んだら座る)
- 場所や向きを変えた読み(ここまで言ったら別の場所に行って読む、向きを変えて読む、椅子の上に立って読む)
の5つが多いです。もちろん、交代読みのバリエーションは、ペアだったり、教室を二分させたり、教師と生徒全員だったりします。
これは教室の雰囲気、授業の雰囲気を見て、そのときどきに応じて変えていきます。
最低でも10回は読ませたい
いろんな方法を使って、たくさん読ませるのですが、すらすら読めるようにさせるには、最低でも10回は音読させたいところです。
この回数のカウントは、生徒自身に記録させたい。
そのための方法もいろいろ先行実践でありますので、参考にしてみてください。さっきの記事にも書いてありますし。
まとめ
ということで、今回は音読についてでした。
たいてい、高校では音読はできて当たり前なものとみなされているように感じます。
しかし実際に読ませてみると、意外な気付きがたくさんあります。
また、音読をさせると、生徒の活動に対してポジティブな評価の言葉をかけやすくなる、という面もあります。
ぜひ、音読を高校の授業でもたくさん取り入れてもらえればうれしいです。
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