目次
香西秀信・中嶋香緒里『レトリック式作文練習法』を読むよ!
読書実況シリーズは好評かどうかはわからないけど、とにかくやるのだ。
とりあえず継続させるのだ。
田村学氏の『深い学び』も読んでるんだけど、以前書いたように難しいのであまり進まず、別の本も並行してやろうかな、と。
で、
ぜひ、作文は書いてみてくださいね。そして、その感想を期待してます。きっと鋭いこと指摘してくださいそうなので(笑)
— ロカルノ (@s_locarno) December 2, 2018
と言ってもらえたので、これやろうかな、と。
目次とかは、こちらの明治図書出版のウェブサイトをご覧ください。
ぼくは単純で御しやすいタイプなのです。
今回は序論だけ。
序論 プロギュムナスマタについて
プロギュムナスマタ、プロギュムナスマタ、プロギュムナスマタ……
どうでもいいけどプロギュムナスマタってぜんぜん覚えられない。何度か唱えてみて、ようやく、なんとなくしっくり入ってきた。プロギュムナスマタ、プロギュムナスマタ、プロギュムナスマタ……
冒頭一文目からいい。わかりやすいですね。
本書は、西洋でプロギュムナスマタ(…)と呼ばれた作文・話し方教育のための訓練方法を、現代の作文教育に利用可能なように作り直したものである
(p.7)
で、ここには注があって、注をみると、「アフトニウスおよびヘルモゲネスの現代語訳版を基本的なテキストとして使用している」(p.15)とあって、いい感じ。
「アフトニウス」とか、「ヘルモゲネス」とかぜんぜん知らないけど、こっから探そうとかできますよね。あとは全体の注だけざっくり見てみると、わりと「飯尾都人」と「月村辰雄」という名前があるので、そっからも探せそう。芋づる式に。
プロギュムナスマタを訳すと? 歴史的な話とか。
プロギュムナスマタ=「予備練習」
と訳す。なんの「予備」か。修辞学校でのレトリックの訓練「デークラーマーティオー」の「予備練習」。このへん、歴史的な話。
プロギュムナスマタは、易→難、単純→複雑っていう理想的な訓練の配列になっているし、あと以前の既習事項をふまえて後の訓練が行われる。すごい。理想的。
だからこそ「作り直そうにもほとんど改変の余地がなかった」(p.7)んだろうなあ。
型の提示とその組み合わせ。がっつり言語技術教育って感じですね。語りの問題にも触れられてる。
型だけじゃなくて、内容についても「周到な指導が準備されていた」(p.13)。こういうの、やっぱちゃんと知らないといけないですね。歴史に学ぶというか。今が最先端じゃない。進歩史観やめよう。
この本の特徴は?
しかしながら、本書は、こうしたプロギュムナスマタの特長を生かしつつも、その体裁をやや縮小し、議論文(意見文)の作成に限定したかたちに作り直している
(p.13)
「議論文(意見文)」っていう認識は国語教育界ではわりとふつうなのだろうか。
「意見文」ってのはよく聞くし、困ったらぼくも指導案に「意見文」とか書いちゃうけど、「議論文」っての、けっこういいっすね。使ってみたいね。「議論文」と言うだけで、かなり指導の方向性とか、目指しているものとかが指導案を読んだ人に伝わるような気がする。
やってみよう! プロギュムナスマタ!
ぼくもやるぜプロギュムナスマタ。なぜなら想定読者についての記述にこうあるから。
本書は、小学生や中学生(高校生)向けのものではなく、現在彼らを教えている現職教員や、やがて教師になって教えるであろう教員養成学部の学生のレヴェルに合わせて書かれている
(p.14)
つまり俺のことだ。やるしかないじゃんね、これ。
もしわれわれの教育が正しければ、そこで訓練された彼らは、やがて自分の教室の生徒にもっとも合ったかたちにプロギュムナスマタを作り直すであろう。教育方法は、自分が直接に教えている生徒の向上のみを意図して考案されたものでなければ本当の役には立たない。教師は自分の教室の具体的な生徒を教えるのであり、「小学生」や「中学生」のような抽象的な存在を対象とするのではない
(p.14)
耳が痛い。
ぼくの実践記録も、ぼくがぼく自身の教室で「直接に教えている生徒の向上」を基本的には意図して作られた授業の記録でしかないので、役に立つかはわからないですね。でもまあ、記録として残しておくことには一定の意味があるだろう、とは思っています。
ところでこの「抽象的な存在を対象とするのではない」というの、ものすごくよくわかるんですね。
ぼくは正直子供が好きではない人で、生徒一般、みたいなものに対する愛情はほとんどないと思う。でもこれってふつうだと思う。ぼくが愛情をもって接するのは、生徒、ではなくて目の前にいるその人でしかないんだよね。でもこのへん、わりと理解されない。
このあたりの話では別の例があって、ぼくはすごいおばあちゃん子で、おばあちゃんには感謝してもしきれないくらい恩を感じているし、大好きなんだけど、では高齢者一般、を大切に思うかというと、それは別の話だよねえ。でもこの話をしてもよくびっくりされる。けどね、ほかのおばあさんは、ぼくのおばあちゃんではないわけよ。同じように愛情を持てる方がどうかしてるんじゃないかなあ。
そんなわけで、ぼくは生徒一般みたいなものに対しての愛情は皆無ですね。だからこそ、目の前の生徒には全力を尽くせる、と思う。
まあこれはぜんぜん本書とは関係ない話だけど。
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